◎出産〜入院、退院まで
「ドイツの子育て事情1」からの続きです。
1. 陣痛から病院に行くタイミング
通常、陣痛が始まりそろそろだと思うタイミングで病院に基本的には予約も無しに向かう流れのドイツ。希望していた病院が満室で他の病院に回されるケースとあると聞きます。
病院や先生にもよりますが、ドイツでは母子共に問題がない場合は陣痛促進剤は使いません。
私も、予定日を過ぎて家族のスケジュールの関係でもう産みたいから促進剤をとお願いしましたが、何も問題ないのにリスクのある薬を使って赤ちゃんを苦しめたいのか?と説明され、渋々待つことに。
そのため私は2日毎に希望していた病院で検診を受けることとなり、当日病院から断られる心配はなくなり一安心。
予定日を過ぎ10日後、陣痛やっときた!!!と病院に主人が電話をかけると、奥さんはまだ会話できていますか?とナースに聞かれました。
はい、普通に話しています。
ではまだまだ来なくて大丈夫です。
なるほど!話せなくなったら行けば良いのか!
と、納得し、律儀にしばらく自宅で待機。
早く行き過ぎて家に帰される事も多いドイツ、それは避けたいと耐え続け、本当に会話が出来なくなり病院へ。
後から思うと、我慢し過ぎた気もします…。
2. 出産
やっとの事で病院の診察台によじ登り、先生一言。
よくここまで1人で耐えましたね!と。
日本人は真面目で我慢強いとはこういう事ですね。
でも子宮口が完全に開くまでは8時間程かかるので、旦那さん一旦帰ってください。との指示。まさか、こんな人生初の痛みと不安が押し寄せる時に、ドイツ語だけの世界にひとりぼっちは耐えられません。
帰らないでと泣いて駄々をこねている間に陣痛がどんどん強くなり、ナースコールを押し続け、お願いして診察室にまた入れてもらいました。
ではまた戻ります、と診察室からナースが消えてしばらく経ち、、、そして朝の6時、夜勤から朝シフトに変わる時間帯を迎えました。
診察代の上で心音を聞く機械につながれたまま、まさかの放置です。言葉の通り、放っておかれました。
ナースコールを呼んでも応答なし。ナースステーションも無人。何語か分からないけど激怒しつつも痛みで死にそうになる私をなだめながら、先生を探しまわる主人。
そして7時頃、Guten Morgen!おはよう!!と爽やかな笑顔で入ってきた先生の顔、一生忘れません。良い意味でも悪い意味でも。
そして、また、この一言。
よく1人でここまで耐えられたわね!もう赤ちゃん頭出てるわよ〜
え!!!!!子宮口が開くまで8時間と言っていたのが、たったの数時間で全開になり、そして赤ちゃん出てきてるなんて!
もう一度言わせてください。
日本人は真面目で我慢強いのです。
そのまま分娩室に移動、1時間以内に赤ちゃんが無事産まれてきてくれました。
結果オーライでしたが、放置されてほぼ自力で出産を乗り越えるなんて。
元々日本人ママはすぐ我慢してしまって放置されやすいと聞いていたので、結構大袈裟に、と言うより痛みを素直に大声に出して苦しんでいたのに、それでも放置。
次回があるのであれば、これでもかと大声で叫んで挑もうと思います。
ちなみに、陣痛の最後の方から分娩中は、ドイツ語で話しかけられて、自分でも驚くほど聞き取りは理解できていましたが、出てくる言語はもちろん日本語でした。しかも主人によれば、常に敬語だったそうです。
緊急時はやはり頭が母国語になってしまうんですね。
頑張って覚えた出産に関わる難しい単語ももうその日を境に、頭から消えました〜。
3. 3日間の入院生活
私にとって、陣痛や出産よりも、入院生活が一番辛かった…。
個室を希望していましたが、満室だったため相部屋に。(この日は街中で出産が多く、病院幾つかがもう受け入れできず色々な病院に大量の妊婦が回されたと聞きました。)
日本の病院の相部屋は、カーテンが必ずありますよね。
ドイツは期待を裏切りません。
カーテンなんて、ございません!!
お隣さんの目の前で、はじめての授乳、オムツ替えや夜泣き、全てをシェアします。
相部屋のため家族は夜8時には帰らないといけなく、孤独に、お隣の人とプライバシーのない生活をしました。
これも日本人だからか、変に相手に気を遣ってしまって、落ち着かず、ものすごく疲れました。
そして、食事がひどい。日本の友達は皆美味しそうな御膳を食べていたのに、私はカサカサのパンにチーズ。もちろんそれだけでは足りないので、義母が炊いてきてくれたお赤飯やきんぴらを毎日毎食食べて過ごしていました。
私は母乳がしばらく全く出せず、数ヶ月頑張っても結局上手くいかなかったのですが、この入院生活からのストレスも原因の一部だと思う程、辛い3日でした。
ドイツ語を話さないといけない環境は、大変でしたが、我が子の為ならと今までのドイツ生活で一番ドイツ語を話していたと思います。笑
分からない事はとことん聞かないと誰も教えに来てはくれません。ナースステーションに入り浸り、部屋に常にナースや助産師を呼びつけて必死でした。
そんな入院生活の後、我が家に戻ってほっとして嬉しくてまた泣いて、新しい家族を迎えた新しい生活がスタートしました。
「ドイツの子育て事情1」では、妊娠〜出産までの病院事情をお話しています。よろしければこちらもお読みください。